このあいだほんのちょっとだけ衝撃を受けることがあったんで、気を紛らわすためにゲーム三昧というアレをやったら睡眠不足で次の日の昼飯後が非常につらかったのでまぁアレだ。ゲームする暇があったら勉強しろというような無意識の声も聞こえて来るんだが、まぁなんだろうな、ウン、勉強というベクトルの方向をアレするためにZ軸を調整してやればいいんだろうがまぁ難しいというアレだ。ウン。
そんなことはどうでも( ・∀・)イイ!気分をアレするためにやるゲームはやっぱり何も考えなくていいようなアレがいいという話。
で、最近は、やりかけで放ってあったお姉チャンポンを再びやっているわけ。一応背景にシナリオもあるわけだが、そんなものは本当にどうでもいいアレだから、ただゾンビぶった斬る爽快感のためだけのアレだな、このゲームは。
とかなんとか思っていたらば、山風先生のエッセイの一節を思い出した。
「凄惨であったり荒唐無稽であったりする忍法小説が流行るのは、天下泰平な証拠で、逆にほのぼのとしたような小説が流行るって時代はおおよそ碌な時代じゃない」ってな感じだったと思うが、所有している文庫のなかでどれに載ってたのか。
ひっくり返すのも面倒くさいので今は探さないけれども。
これも世間の情勢の話だけではなくて、自分の心の状態によっても、読む本だったりゲームだったりの傾向はそんな感じだなぁというアレ。
だから、今の自分はまだ落ち着いてるんだろうな。ちょっと不安定なときは、シナリオがいいという評価が出ていたものとかをおもむろに買ってみたりとかしてたしな。
まぁこんなことを言うのは口幅ったいが、娯楽は単純に娯楽とする姿勢ってのが必要なんじゃないかというアレ。作る側もやる側も。
で、今評判になっている小説やら何やらを見てみると・・・まぁ碌な時代じゃないんだろうな。
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