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いわゆる漫画家に屏風を描くことを依頼するとは。
その発案した僧侶はいわずもがな、上の方が権威主義じゃないっぽいので、まぁアレだ。好印象というやつだろうな。
井上雄彦 :親鸞の生涯を屏風に 東本願寺で公開 毎日デジタルウェブ 2011/3/26
ちょっと京都まで行ってみるかなぁ。4月4日~17日ですか。花見にまかれりけるのによい季節ですか?
ところでまぁアレだ。
先月くらいに、通勤時吉本隆明の「最後の親鸞」を、ちょっと久しぶりに読んでたんだけれども。
非僧非俗を標榜した親鸞の真宗において、わざわざ坊主をやるということはどういう意味合いがあるんだろうな。
悪人正機の考えに立てば、坊主になる必要はやっぱりないなぁ。
でも、念仏が易行道といわれるけれど、一切の自力を排する易行道は本当は易行ではないのだ、との考えまで至ったときに、すでに坊主であったら、そのためにわざわざ還俗するということはできないわな。
なんだか綱渡りしているような気分だ。。。
さて。