結局
前々回の日記でアレしてた話に対しては。
結局PCのモニターを新調して、そっちにPS3とPS2(by あっぷすきゃんこんばーた)をアレすることと判断しましたよ?
もうテレビ買わない。地で鹿にもアレしない。
今のテレビ(14インチブラウン管)はつぶれるまでそのまま(最長2011年のその日)使用されることとなりました。これでこのテレビがアレしたらNHKには受信料払わない。
アレした時にはリサイクル料金払って捨てることになるわけだが、最早ブラウン管なんてリサイクルされるアレでもないだろ。
リサイクル料金でもなんでも払ってやるから、もう廃棄してくれよ。無駄なリサイクルすんな。
しかしまぁアレだ。気が変わったら、TVチューナーをPCに積むことになるだろうな。まぁなさそうだけっども。
これまでの人生メインのニュースソースとして使用してきたわけです。
これに代替せられるのはネットとなるわけです。
即時性とその情報量とを鑑みて、充分だと思うわけです。
後は、緊急時(PC蛾ぶっ壊れた場合)のために、ラヂオとか買っとくかみたいなまぁアレだ。
で、だ。
テレビとネットを比較してみたときに、その差としてアレするのは。
テレビは点けてたら、テレビの中の人たちが取捨選択した情報が垂れ流されるわけです。
ネットでニュースをアレしようとしたら、自分で開かないと見れないわけです。
要するにその情報の取捨選択は完全に自分に委ねられるわけだ。
ここで一点不安になるのは自分の判断能力であって。
へたすりゃ情弱になるからな。
というのは、前にテレビで収集した情報だが、人間、選択肢が多いほど選択しないとかなんとかいうアレがあった。
どういうネーミングでその法則がアレされてたとか全く覚えてないからどうやってググったらその情報に行きつけるのかわからんが、まぁアレだ。
そこで取り扱われてた内容は。
たとえば、買い物に行って、同じ系統の商品が数種類並んでたとするとその中から取捨選択して、買い物を行われる光景がアレするわけだが。
そこに数十種類並んでたとすると、結局選べない光景がアレしてた。
まぁなんか心理的には納得する。その数十種類の差異とか考えてると、面倒くさくなるな。うん。あぁ。
・・・この経済学的、あるいは心理学的根拠をちゃんとアレしないとアレなんだがググる気がしない(´・ω・`)
で、自分が、ちゃんとネットの海の中で情報の取捨選択をちゃんとアレできるのかとか、まぁアレだ。
・・・自分の努力に期待。
ともかく、昨今テレビの番組見ないし、見る必要性の全くないの大石。
特にニュース番組の枠でニュース以外のうざい構成が入ってくる現状にアレできない。
テレビの中のやつらが取捨選択した情報なんて全くどうでもいい。
テレビ主体で発信される情報もどうでもいい。
まぁそういう結論で。