巫女に処女性をアレするのは、ずっとそういうものだと思ってた。
昔話に出てくる生贄が選別されるときってそういう若い娘さんなんかが対象となる話をふと思い出すんだけれども。。。
だけれども、巫女に関しては元々はそこまででもなかったらしい。
ていうか、近世の職人歌合に出てる図絵なんかだと、巫女のところはもう干上がった婆さんの絵面だったりするし。
巫女の資格としては、現役の人妻だとアレだろうけど、寡婦でもいけたらしいし、厳格なこだわりはなかったようなんだなぁ。
ていう話の根拠を探してるんだけど見つからない。網野さんの本で読んだと思うんだけどなぁ。。。まぁまた一からチェックするか。
たとえば、ストパンのウィッチとしての魔法力にも、処女じゃなくなったら極端に落ちるという設定があるみたいだし、これ巫女さん的なアレを意識してるよね。
もしくは、女性とヤった修験者は法力を疑われて飯の食いあげだったとかそういうところから引っ張ってきてんのか。
閑話休題。
処女性と堕胎に対してのタブーはないというような記述はルイス・フロイスの「日欧文化比較」根拠で網野さんの「日本の歴史をよみなおす」に書かれているんだけれども。。。
たとえば時代劇なんかで、悪代官の帯クルクルなんかにアレされるように、生娘がどうとかいう描写をよく見かけるんだけれど、これは、戦国以前には有り得なかった認識で、近世以降で出来上がった認識なんじゃないかということになる?
そこら辺に寛容じゃない権力が出来上がって統制始めて、それによってそいういう認識が出来上がってきたということだったら、あの帯クルクルが楽しみとなりえるのは江戸期以降?
たしかに女性の性に対して縛りがきついのは、儒教とかキリスト教とかか。
てことは、信長が天下布武を完成させていたとしても、そこら辺りは変わらなかったんだろうなぁ。
何が言いたいかと言うと、権力による統制が外れてきて、家族構成も核家族化が定着してきて、ムラ社会的な縛りもそのフォローもなくなってきたところで、今の子達は、元に戻っただけじゃないの?
ということ。
子供の虐待とかいうアレな事件のことで、その母親が子供と男に対してルーズ過ぎるというアレについての話をしようとしてます。
誤解されるような書き方をしてるなぁと思うけど、別にその虐待親を擁護するつもりはさらさらなくて、ただ、「自分の子供に愛情をそそがないなんて人間じゃない」みたいな発想は違うだろうなということ。
うちの親父殿だったら、そういう親のことをたぶん「犬畜生にも劣る」という言い方をするだろうし、前はそう言って批判してたのを聞いた。
でも、その「犬畜生」にだって、育児放棄する個体も存在するわけで。
全否定するような見方は違うなぁとこう思ったので書いてみただけ。
だから、国やら何やらが対策を立てるのだとしたら、そこを悪として見るような策だったら駄目だろうなぁと思っただけ。
そりゃ自分がその子供だったとしたら、たまったもんじゃない・・・どころじゃ済まないけどな。
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