今日も一日おつかれさまんさで帰宅したらば、郵便受けにまたはいってた。
今日はエホバの証人だった。
だからこのペーパーレスの時代に燃えるごみを増やさないでもらいたいって。
あー、先月くらいには土曜日の昼間っからピンポーンって来てたっけ。
そういえば最近、
4/13の日記にご登場願ったそうかの方からは、全く音沙汰もなくなったな・・・あ、選挙協力をにべもなく断ってからか。まぁそんなもんか(相変わらず俺は自分からコンタクトを取る人間でないという事実は棚に上げる)。結局勧誘されることもなかったから、重要なのは教義よりも組織票ってことですか。
そんなことはどうでも( ・∀・)イイ!吉本隆明の「
最後の親鸞」を読んでからちょっと目から鱗ぼろぼろなんだが。
なんせ易行が易行じゃないことよりも、解体されるべき方向性だったというのが。
自分はこれまで親鸞の上っ面を眺めてただけだったんだと。
若年の頃に、出家したいという思いがあったんだが、それを遮ったのは、僧侶というものに対しての言葉にはならないんだがなんか感じられた違和感。
よく托鉢に廻ってるような絵面があるじゃないよ、で、こう施しをくれる方がアタマ下げて拝んでたりするわけ。
アレを見ると、これは何か違うって思ってたわけで。
大乗をアレするには僧侶である必要はない、って考えを
ブッダの方舟から学んではいたんだが、非僧非俗という言葉はそのことを含んでいるんだということがわかって、何だかちょっと安心した。
正直エゴイストにはなりたくない。しかしまぁそういう側面も自分は持ってるわなぁ。。。まぁそれだけだ。
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